なら氷室
なら氷室
氷室神社の謎の歴史を探る冊子「なら氷室」を発行しています。
当社にご参拝の方に下記により差し上げています。
- 1部につき100円以上ご奉賽の方に差し上げます。
- 500円以上ご奉賽の方には1~8号すべてを差し上げます。
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No.1(平成26年12月1日改訂版発行)
氷室と氷池と氷室社
奈良の氷室社は、平城京とともに和銅三年(七一〇)に御笠山麓に創建されたと伝えられています。しかしその所在は、はっきりとはわかっていません。
そこで、奈良時代には氷室や氷池、それに氷室社がどこに所在したのかを探ってみます。詳しく見る
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No.2(平成12年1月1日発行)
平城京と氷室の神の祭祀
天平勝宝八年(七五六)の「東大寺山堺四至図」には、御笠山麓に氷池・神地・氷室谷が描かれています。なぜ氷室の神の社が御笠山麓に創建されたのか、またどんな性格の社であったのか考えてみます。
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No.3(平成15年5月1日発行)
なら氷室神社の由来と歴史
当社は、『遠弘神主記』によれば、和銅二年(七〇九)元明天皇の勅書によって氷室を御笠御料山に移し、闘鶏大神を祀り、諸国に製氷技術を教えたことにはじまるといいます。
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No.4(平成17年11月1日発行)
御蓋山西麓の祭祀と氷室
奈良時代の氷室の祭祀はどのようなものだったのでしょうか。その後の氷室の神の祭祀とどのような違いがあるのでしょうか。そこで、「日本書紀」の説話と御蓋山およびその西麓の氷池・氷室・氷室の社を関係付けながら、考察を進めます。
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No.5(平成21年3月1日発行)
春日野の神地と氷池と氷室
氷室社の旧社地について、江戸時代以来どのように書かれていたかをもう一度検討します。その上で、「東大寺山堺四至図」と現地を見くらべてその所在を探り、氷室跡と思われる土杭の発見についても触れています。
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No.6(平成23年5月1日発行)
氷室神社旧本殿の平面図について
平成二一年に氷室神社より旧社殿に関する文書が発見されました。その内容から浮かび上がったのは、貞観年間に現在の地に遷座されてから式年造替をうけながらも、建保三年(一二一五)までその姿を留め威容を誇った旧本殿の驚くべき姿でした。
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No.7(平成25年1月1日発行)
貞観の氷室宮遷座について
平安時代の氷室宮について、限られた資料から浮かび上がる神社の姿を再現してみます。
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No.8(平成26年10月1日)
氷室社遷座の時期について
氷室社が現在の場所に遷座した年代については、平安初期に遷ったという説と鎌倉初期に遷ったという説があります。そこで、今回はそれぞれの説について具体的に述べてみます。
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No.9(平成29年6月5日)
「南都氷室宮縁起」の社頭行列図
奈良国立博物館に氷室神社所蔵「南都日樹路宮縁起」が寄託されています。今回はこのころの祭礼の姿を紹介したいと思います。
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発行所:氷室神社社務所
編集:氷室神社文化興隆財団